タイタニック号の悲劇ばかり何度も取り上げられ、タイタニックが史上最悪の海難事故と誤解する人が多いが

タイタニック号を上回る犠牲者を出した海難事故・いや戦争犯罪級の攻撃事件を忘れてはならない。

ソ連軍の攻撃でバルト海に沈んだ「ヴィルヘルム・グストロフ」「シュトイベン」「ゴヤ」の悲劇。

ヴィルヘルム・グストロフが投入された避難民輸送では、2月10日に客船シュトイベンがまたもS-13に撃沈され、4月16日に貨物船ゴヤもそれぞれソ連潜水艦の雷撃を受けて沈没し、難民などに大勢の犠牲者(シュトイベンでは4,500名、ゴヤでは6,666名)を出している。1945年4月はじめまでに、ドイツ海軍は東プロイセンからドイツ西部への250万人の軍民を避難させることに成功したが、その過程で33,000人の難民や軍人が亡くなった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95_(%E5%AE%A2%E8%88%B9)

アメリカ海軍の攻撃で沈んだ阿波丸事件(あわまるじけん)

太平洋戦争中の1945年(昭和20年)4月1日にシンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船阿波丸が、アメリカ海軍の潜水艦クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393)の雷撃により撃沈され、2000人以上の乗船者のほとんどが死亡した事件である。阿波丸は日米間の協定で安全航行を保障されていたはずであった。

日本政府は撃沈直後から戦時国際法違反として抗議した。アメリカ政府もこれを受け入れ責任を認めた上で、賠償問題については戦時であり直ちに交渉することは困難であるとし、終戦後に改めて交渉を行なうことを提案した。戦後になり日本側から阿波丸の代船を提供することや6150万ドルの賠償金を求める等の賠償請求が出され、アメリカ政府も当初はそれに応じる方針だったが、当時のGHQ司令官ダグラス・マッカーサーが賠償を強く拒否したため交渉は暗礁に乗り上げた。身内からの反発に苦慮したアメリカ政府は、代案として当時アメリカが日本に対して行っていた有償食料援助の借款額を18億ドルから4億9千万ドルへ棒引きする代わりに、日本へ阿波丸の賠償請求権を放棄するよう求めた。アメリカ側の破格な提案に当時の日本政府もこれを了承し、1949年(昭和24年)に日本の国会は、阿波丸への賠償請求権を放棄し日本政府がアメリカに代わって賠償を行う旨を決定した[3]。結果的には十分とは言えないものの、当初日本側が考えていた以上にアメリカから阿波丸事件への賠償を引き出すことに成功している。

1950年(昭和25年)に「阿波丸事件の見舞金に関する法律」(昭和25年法律第223号)が成立し、死亡者1人あたり7万円の見舞金を遺族へ支給した。また、阿波丸を失った船主の日本郵船には、1784万円が支給された[4]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

戦後のアメリカによる食料援助は有償だったし、その金額を減らすための政治的取引で日本側は賠償請求権を放棄した。

それに比べて、対馬の向こうのろくでなしは従軍慰安婦や徴用工問題などを蒸し返し、日本を貶めさらなる賠償金を分捕ろうとしているのは腹が立ちますね。

タイタニック」から20年 レオナルド・ディカプリオらキャスト再集合写真に歓喜の声