神奈川県藤沢市旧赤線小鳥の街の残り香を探して旧辰巳町

神奈川県藤沢市

横浜や鎌倉、箱根と肩を並べる神奈川きっての観光地江ノ島を擁し、人口も40万以上を抱える湘南最大の都市。

JR東海道線を軸に小田急江ノ電も入る交通の要衝ですが、ここは江戸時代、東海道の宿場町でもありました。

そして、そんな宿場町の時代から脈と引き継がれてきた色街の歴史をもつという裏の顔も。

これについては様な遊里探索サイトでもあれこれ取り上げられているので、そっち方面に詳しい方なら恐らくはご存知かと。

しかし、時代の流れは止まるどころか速く流れるもので、その名残りが次と消され、僅かにみられる痕跡も消滅は時間の問題。

早いうちに探索されるのがお勧めですぞ。

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そんな訳で藤沢駅北口を出て、銀座通りへ。

実を言うと、今回の散策のメインはあの江ノ島

で、途中下車して近くの喫茶店でモーニングのつもりがまだ開店前だったので、その前に兼ねてから気になっていたあの場所へも寄ってみようというのが本当のところ。

車の通りが多い銀座通りですが、件の場所はそんな喧噪を少し外れた場所にあります。

駅から歩いて10分ほどで、思った以上に近い場所です。

細い通りに入ると、突如として現れる質屋の看板。

これぞ遊里の近くに質屋ありという典型、本当にわかり易い。

質蔵も年季の入った石造りで、もしかすると当時からあったんではないのと思わせるもの。

遊ぶ前には軍資金が要りますし、そのためにまずはここに立ち寄ろうという寸法でしょう。

トタンの塀から覗いてみると、手書きで質と書かれた看板がこれまた年季入っているっぽい。

質屋の横に伸びるこれまた細い路地は、何と舗装されていないではありませんか。

これ、駅から至近距離の場所ですよ

一気に昭和にタイムスリップした錯覚に陥ります。

さて、質屋からさらに進んでいくと突如として現れる謎のゲート。

まさしく、多くの遊里探索サイトで出てくる奴ですが、それらの写真で出てくるのは朽ちかけた木製のゲートだった筈。

時代の流れなのか緑で覆われていて原型が分からなくなっています

この辺りは飲食朋友会と呼ばれているようです。

しっかし、背後のマンションがデカっ

その下には、かつてこの辺りの人達が使ってきたのだろう井戸のポンプの残骸。

そんなこんなで、ゲートをくぐっていきます

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うわぁこりゃぁ酷い

こりゃぁ、完全にご臨終ですわ

この状況、言葉での説明は不要です罠。

かつて夜の街として賑わっていたのも今は昔。

ってか、人がいなくなってからだいぶ経ってるんではないかと

古い警察の鑑札。

藤沢飲食朋友組合のプレート。

黄桜の河童の絵、いつの時代のやつかよ

ところで、この飲み屋街ですが、どのサイトを見ても由来ははっきりしないんですね。

恐らくは赤か青の類からの流れではないかと思われますが。

というのも、この辺りは戦前から続く色街だったのですから。

突き当りの飲み屋も完全にオワコンのようです。

もっとも、ここで行き止まりではないんですね。

クランクする形で路地が伸びていますが、どういう訳か舗装がなされていません。

恐らくは戦後から土地の所有権がややこしい状況で、とても手が付けられなかったのかも知れません。

さて、ここらで藤沢の遊里史を簡単に触れておきましょうか。

先程書きましたが、江戸時代は東海道藤沢宿という宿場町でした。

江戸と京都を結ぶ大動脈というのもさることながら、近くにはあの江ノ島があります。

自由に旅行できる時代ではなかった時代、参詣目的だけは許されていたわけでお伊勢参りが典型ですね、江戸の近場でもある江ノ島詣でが庶民の間で流行っていました。

となると宿場町も賑やかになるわけで当然ありましたよね、飯盛女が。

そんな飯盛女をこの場所に移して遊郭にしたのが明治35年。

当時は辰巳町と呼ばれていたことから辰巳町遊郭とか辰巳新地と呼ばれていました。

全国遊郭案内で藤沢町遊郭の項があり、貸座敷が十軒あつて、娼妓は五十人という規模でした。

もっとも、戦後の遊里を網羅した全国女性街ガイドには藤沢についての記述が無いんですね。

しかし、街並みを見れば赤線か青線の形で続いていたのは疑いようがないみたい。

特にこの辺りは小鳥の街と呼ばれる歓楽街があって、近年までそのネオン看板を掲げた遺構が存在していましたが、現在は消え失せています。

スナックせきれいとか、

スナックひよこといった小鳥の名を冠した飲み屋がありますが、小鳥の街の残り香なのかも知れませんね。

また、いくつかの遊里探索サイトでも紹介されているように、数年前までは赤線からの転業と思われる旅館もあったのですが、いずれも解体され、周囲には大型マンションが次と建つように。

そういえば、マンションといえばA歯物件と呼ばれた欠陥マンションもこの辺りでしたねすでに解体されていますが。

遊里の歴史を引きずっているかのように風俗店も残っていますが、どうやらこちらも命脈が建たれた感じ。

マンションの一階にはかつての町名の名残りとして辰巳町会館と書かれた看板。

江戸時代から続いてきた色街の名残りは徐に消えゆく感じです。

そんな訳で、先ほどの廃墟横丁も完全に消えるのも時間の問題。

なくなる前に早く訪れたい。

但し、近辺には893の事務所があるという情報も聞かれるので、くれぐれも気を付けて。

なお、藤沢の遊里に関してはそっち方面に詳しいこちらのサイトが詳細に触れているので、参照の程を